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泡盛の起源は、ウイスキーやブランデーと同じで、紀元前300年頃のギリシアまでさかのぼることができます
「古代ギリシアで生まれたアンビクスという蒸留機はエジプトでアラブ人によってアランビックと名を変え、東洋と西洋へ伝えられました」
東アジアの蒸留酒の普及は西洋よりはるかに早く、ワインの蒸留液が一四二〇年のパリで薬として売られていたのに対し、すでに琉球ではシャム(タイ)との交易で蒸留酒を輸入し、一四七〇年頃には泡盛の原型といえる酒の国産化が始まっていました。
当時、那覇港の交易品管倉庫には、酒の入った大きなカメが多く保管されていたという事実から、国産化された泡盛はさつまや江戸への重要な貿易品であった事がうかがえます
一方、西洋で蒸留酒が酒として飲まれ始めたのはウイスキーで一五七〇年代、ブランデーで一六六〇年頃のことですから、泡盛はその大先輩にあたるお酒です
琉球王朝時代の泡盛づくりは厳重な管理のもとに限られた場所で行われていました
首里三箇(しゅりさんか)
- 崎山(さきやま)
- 赤田(あかた)
- 鳥堀(とりほり)
「全て首里城の近くですね」
さらに、泡盛を造ることが許されたのは、古来より泡盛を造り続けてきた30人の本職と、10人の重職(かさみ)を加えた40の焼酎職でした
「プロフェッショナル集団がいたんです…」
また、王家の指定した三箇の泡盛業者は48軒あり、焼酎48職といったそうです
「もし泡盛造りに失敗したりすると、軽いものでも蒸留機の没収、重いものは家財没収の上、島流しにされたそうです!」
免許剥奪・・・
「命がけで泡盛を造っていた時代があったんですね…」
「泡盛の歴史は深いのです・・・」
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